【御嶽山噴火 生還者の証言】噴火から無事に生還できた小川さゆりさん(40代)がすごい

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Kindle Unlimitedで読んだ「御嶽山噴火 生還者の証言」がとても面白かったので、感想を書きます。

「御嶽山噴火 生還者の証言」は、生還者のインタビューを元に当時の噴火の状況を詳細に記した本です。

御嶽山噴火の生還者であり本書の著者である小川さゆりさんの行動は、登山が好きな人はもちろん、日常を生きる上で参考になる部分があったので紹介します。

絶体絶命の状態からなぜ小川さんが助かったのか、本書の言葉を交えて紹介していきたいと思います。

動画版もありますので、ぜひこちらでもご覧ください。

2014年に起きた御嶽山噴火とは?

2014年9月27日、長野県と岐阜県にまたがる標高3067メートルの御嶽山が噴火しました。

9月10日から通常より火山性地震が頻発していましたが警戒レベルは最も低いレベル1で、紅葉の季節、土曜ということもあってたくさんの登山客がいました。

登山客約250人のうち63人が死亡。56人が火山礫・噴石による損傷死、1名が気道熱症、1名が原因不明。現在も5名が行方不明の状態が続いています。

御嶽山の場所はこちら↓

小川さんはどうやって生き延びた?1回目の噴火〜生還まで

噴火時における小川さんの避難行動を、時系列順に簡単にまとめます。

11時52分に御嶽山が噴火。小川さんは一瞬頭が真っ白になりますが、噴煙を見た瞬間から危険だと判断でき、命を守るための行動に移りました。

時速200~300kmの速さで落ちてくる噴石から身を守るために、できるだけ大きな岩を探し頭を抱え張り付きます。周りから男とも女ともいえない「ギャー」という凄まじい叫び声が聞こえていました。

ここじゃやられる、と直感した小川さんはもっといい場所を探そうとしました。単純に上がるより下がる方が早いと判断したので、急斜面を勢いよく走り出し、大きな岩陰に身を隠します。

その直後2回目の爆発があり、目の前にかざした手のひらさえ見えないような漆黒の闇に覆われました。

小川さんは一回目の噴火をしのぎ、一人暗闇の中をさまよっていました。ポケットのメモ帳に遺書を書こうか迷いましたが、山が好きだからこそ「山では死ねない」、「夫にもう一度会いたい」、「絶対に生きて帰る」という強い決心に変わっていきます。

地形と山小屋がどこにあるのか頭に入っていたこと、身についた登山技術・装備が心の支えとなりました。

小川さんは全身が隠れる岩場を探すために、更に山を下ります。セメントのようなべたべたした雨が降ってきて、靴の裏に火山灰が張り付き高下駄のようになりました。それでもなんとか山小屋に辿り付き、一命を取り止めました。

全身灰だらけでぼろ雑巾姿の小川さんを見て、他の登山者はきょとんとしていたそうです。

小川さゆりさんが生還できた理由「瞬時の判断・身についた技術・運」

小川さんはインタビューや講演のなかで、自分が生きて帰って来られたのは「瞬時の判断」、「身についた技術」、「運」の3つを挙げています。

このうち「瞬時の判断」と「運」について小川さんの言葉で詳しく紹介したいと思います。

一歩間違えたら死んでいた?見習うべき小川さんの判断力・危機管理能力

小川さんの判断力が光る場面を紹介します。

2回目の噴火をしのいだ後、小川さんは女性1人、男性3人の登山者に会いました。

女性がケガをしているのが気になりましたが、大きな岩陰に隠れていたのもあって、「今は女性を動かすべきではない」、と判断しすぐにその場を去りました。

まだ噴火は終わっていないと感じた小川さんは、安全な場所を探すために単独で山を急いで下ります。その間2分でした。

その後、その場所に噴石が降ってきて、女性1人、男性2人が死亡しました。

この行動は、「ガイドで救助隊員なのに、なぜ一人で逃げたのか?四人の登山者と一緒にいようとは思わなかったのか?」と非難されることになります。

小川さんは、この先どうなるのかもわからない状態で、どれほどの技術・体力を持っているのかもわからない登山者4人の命を預かることはできないと判断したようです。

自分の命を守ることに徹した。生きることに執着した。その判断、決断は間違っていないと信じている。

小川さんの判断がもう少し遅れていたら、同じように死んでいたかもしれません。

小川さんが生還できた理由③「運」

周りから「運が良い」と言われるのは小川さんは好んではいないようですが、小川さんが強運の持ち主だとわかる場面はたくさんあります。

噴火後すぐに、視界を遮る強烈な腐乱臭のする火山ガスに覆われます。小川さんはそのガスを吸ってしまい「もうダメだ」と苦しみますが、そう思った瞬間風向きが変わったのか急に息ができるようになりました。隣にいた男性はガスを吸ったからか何度も吐いていました。

そして小川さんは、噴石で命を落とした登山者を誰一人見ていません。

生存者の一人である佐藤さんという男性は、噴火直後、周りで登山者が次々と命を落としていった悲惨な光景を目の当たりにしました。

避難している途中で、噴石で左腕を失った女性に付き添っていましたが、佐藤さん自身も負傷していたため女性をその場に残して去ります。

その女性は無事に救助されたのですが、自身のケガに加え「重症の方を見殺しにした」という罪悪感で佐藤さんは長い間苦しみました。

そんな佐藤さんとは対照的に小川さんは地獄絵図を見ることもなく、ほとんど負傷せず、まるで何かに守られ導かれるようにして噴火を生き抜いたのです。

小川さんが御嶽山から生還することができたのは、長年山行を重ねて身についた判断力・登山技術に加え、そしてこの強運が揃っていたからだと言えます。

生き延びるためにはどんな装備が必要?

報道では噴火から登山者の命を守るのに最も大事なものは、ヘルメットとシェルターだと結論づけたようですが、このことに対して小川さんは疑問を抱いています。

装備についてはないよりあった方がいいというレベルで、シェルターもヘルメットもマスクも、危険と判断し即座に行動できる登山者の危機意識が伴わなければ、命を守ることはできない。

シェルターがあったとしても即座に逃げ込む行動を起こさなければ意味がありません。

実際に噴火を体験した小川さんに言わせてみれば、四方八方にはじけ飛ぶ噴石をヘルメットだけで防げるとは思えず、マスクもあるに越したことはありませんが、ポケットなどすぐに出せる場所でなければこれもまた意味がないようです。 

つまり、「何かを造れば大丈夫、何かを持てば大丈夫」というそんな単純な考え方は自然には通用しない、登山者が危機意識を持っていなければ、どんなも装備・設備も意味がない、と小川さんはコメントしています。

御嶽山噴火ってどれぐらいやばかったの?

当時の噴火の恐ろしさがよく伝わる小川さんの文章をいくつか紹介します。

灰色の中をレンジ、洗濯機ほどの黒い影が一瞬で視界から一の池方面に消えていった。
 

黒い影というのは噴石のことです。時速200~300kmの速さで落ちてきたと言われています。

真っ暗闇のなか雷が横に何本も走っていた。
 

2回目の爆発後、黒と灰色の噴煙が立ちのぼり、辺りは真っ暗になりました。多くの生還者は「漆黒の闇」と表現しています。

雷とは火山雷のことで、火山噴火による特殊な条件で発生します。「ドドーン」「バリバリバリ」と響き渡り、火山灰を含んだセメントのような雨を降らせました。

灰のなかからなんとか一人の女性を引っ張り出した。その姿は全身に力がなく、生きている雰囲気はまるでしなかった。
 

火山灰はとても熱く、火山灰の中から掘り出したザックのショルダーベルトが2本とも焼き切れるほどだそうです。

まとめ

「御嶽山噴火 生還者の証言」から、噴火を生き抜いた小川さゆりさんについて簡単に紹介しました。

小川さんが噴火から無事に生還できた理由は、「瞬時の判断」、「身についた技術」、「運」の3つ。

危機意識と長年山行で身につけた技術・体力をもって、安全な山小屋へ避難することができました。

そして何と言っても小川さんは強運の持ち主。まるで何かに守られ導かれるようにして噴火を生き抜く姿は圧巻です。

読者の感想の中でも「小川さんは運が良かった」という意見は多いです。

噴火の状況は悲惨で読み進めるのが辛くなる箇所がありますが、強さと明るさに溢れる小川さんの文章のおかげで一気に読めます。

普段山登りをする人はもちろん、当時の噴火の恐ろしさを追体験できる貴重な本として、全ての方におすすめできます。 

プロフィール詳細はこちら。https://yukamaeda.com/sonohoka/profile/

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