「雪の遺書」を知っていますか?【日高に逝ける北大生の記録】

1965年3月、北海道大学山岳部の学生が雪山で遭難し、6人全員が死亡しました。

この出来事は札内川十の沢北海道大学山岳部遭難事件と言います。

リーダーは沢田義一くん、農学部4年生。
沢田くんを含めた4年生は3人いて、全員就職先も決まっており下山後に卒業式を控えていました。

なぜこの事故が起こったのか、状況はどうだったのか、
ネットでざっくり調べることができますが、雪の遺書にしかない書かれていない情報も多くあります。

札内川十の沢北海道大学山岳部遭難事件を知らない人にとってはわかりやすく、覚えやすく、すでに知っている方にはより詳細な情報を持って 理解を深められるようにご紹介いたします。

動画版で見たい方はこちらから。


【雪の遺書】日高に逝ける北大生の記録

事故の概要 捜索~遺体発見まで

沢田くんをリーダーとした6人のパーティは、1965年3月11日、日高山脈へ入りました。

計画は3月11日から24日からの14日間で、ルートは上札内、十の沢左岸の尾根、国境稜線、カムイエクウチカウシ岳、カムイ岳、幌尻岳、トッタベツ川、八千代へ下山。

下山予定の24日を過ぎても帰らないので、捜索隊が編成されます。

当時の天候、他のパーティから聞き込みにより、十の沢の大雪崩に埋められて遭難した可能性が高いと判断。

捜索隊は沢田くん達が埋まっていると思われるデブリを掘削しますが、非常に硬く、作業は思うように進みませんでした。デブリとはなだれ雪の堆積のことです。


雪崩の規模は非常に大きく、雪崩によってもぎとられた直径30センチにおよぶカンバやその他の灌木が混ざっていました。
デブリは厚く5m以上あり、末端部でも2mはありました。

例年になく降雪量が多く、十の沢は傾斜が急でなだれの危険があったため、捜索を4月4日で打ち切ります。

遺体の発見

5月14日より第二次捜索が開始。

デブリ末端からあふれ出る沢水が非常に多く、遺体の流出を防ぐために網場を設置。

デブリが解けるスピードが早く、遺体の発見を期待できる状態にありましたが、沢田くん達は見つかりませんでした。

遭難から3ヶ月後の6月13日、捜索隊の1人がパトロール中、前日にはなかった窪みを発見。

覆い被さっている雪や木をはらってみると、ナイロンキルティングの上着が見えました。沢田くんでした。

沢田くんは右手を下にして斜めうつぶせで、頭は沢の方に向けていました。左側にポケットからポリエチレンの袋には地図が入っており、裏側に遺書がびっしりと書いてありました。

遺書の内容から、沢田くんがデブリの中で4日間も生きていたこと、そして他の5人が近くにいることが予想されました。

北大本部は第三次捜索隊を組織。3日後に五遺体を発見沢田くんを含めた6人の遺体は、発見現場から少し離れた所で荼毘に付されました。

【事故の原因】札内川なだれ

この事件の原因である札内川なだれは、大規模なものでした総延長約30km、約400,000トン、1,200,000立方メートル。札幌駅ビルの30個分ぐらいであると書いてあります。

雪崩の発生原因は2つ。

原因①札内岳分岐点より南へ延びる国境稜線に発達する雪庇の落下。

原因②分岐点沢右岸の標高1500~1600m付近の山腹に、異常に多く堆積した板状の積雪層が、亀裂し、落下した。

簡単にまとめると、雪庇の落下が引き金となり、山腹の積雪層に亀裂が生じ、雪崩が発生しました。

※雪庇とは、山の尾根からの雪の張り出しのことです。

雪崩の種類は「面発生乾雪表層雪崩」です。

新しい雪の層が古い雪の表面上を滑り落ちる現象です。

参考

雪崩の種類は、点発生乾雪表層雪崩、面発生乾雪全層雪崩など全部で6種類あります。

今回の事件の原因となった「面発生乾雪表層雪崩」は、その中でも大規模であり、大災害を引き起こす可能性の高い雪崩です。

ちなみに表層雪崩の落下速度は、およそ時速100~200km程

沢田くんはどんな人だったの?

昭和15年(1940年)生まれ・東京都出身、幼少期は戦時中だったので、疎開先の埼玉県で過ごしました。姉が1人、妹が2人います。

小さい頃から読書を好み勤勉で、登山は高校生から始めました。浪人生活を経て北海道大学へ入学。

真面目で自分に厳しい、繊細な心を持った北大生です。

苦学生
で、日記にはいつもお腹を空かせている様子が見られます。服を買う余裕もなく、実家の母親にマフラーや手袋を編んでもらっていました。

山に対して尋常ではないほどの熱意を持っており、登山の計画、反省などが書き込まれた山行ノートが掲載されています。

遭難することを非常に恐れており、大学2年生で山岳保険に入りました。

沢田くんの想い人、Yさんについて

沢田くんは学生時代、2歳くらい年上の女性に恋をしていました

日記の中で「Yさん」として登場します。

沢田くんの熱烈な片思いを経て、恋人のような関係になりました。

二人は一緒に山を登ったりデートをしたり幸せな時間を過ごしましたが、Yさんはある日を境に日記に登場しなくなります。

北大山岳部では、毎年3年生がリーダーとなって部をまとめます。しかし、残念ながら沢田くんはリーダーには選ばれませんでした。

リーダーに選ばれなかった落ち込みはすさまじく、なぜ自分ではないのかと、当時の苦悶が書き込まれています。

この時からYさんに対する思いも変わってしまいました。

最初に感じたような胸をかきむしられるような恋しさではない、淡々としたものとなってしまった、今日は恋人というより可愛い妹という感じだった。

更にこう続きます。

「前は結婚を前提に考えていたが、結婚なんてそう簡単にできるものではないと感じ出した、Yさんから早く離れるのがお互いのためにいいような気がする」

Yさんはこの日記を最後に、登場しなくなりました。

当時の沢田くんにとっては、恋人より登山の方が大事だったのかもしれません。

両親からの言葉

本書の最後に、沢田くんの父と母からのメッセージがあります。

沢田くんの父、巳之助さんは短歌が詠める方で、亡くなった沢田くんへの歌がいくつか掲載されています。

母のゆきさんからは、沢田くんが生まれた時から実家を出る高校までどんな生活を送ったか、どんな性格だったか、母親らしい文体で丁寧に紹介しています。

母のゆきさんからの言葉(一部抜粋)

「私たちのたった一人の男の子を、情容赦もなく奪い去ってしまった雪崩ー大自然の暴力をどんなに恨んでも恨みきれませんが、いまさら何といっても取り返しはつきません。義一が深い雪の下に埋められていた四日間、とても助からないと死を覚悟して、リーダーであることの責任感から、同行の友を死なせたことに、とりかえしのつかぬ失敗として、友のお母さんに詫び、私たちのことを思いつつ書いた遺書を見ましたとき、その文字の一字一字をみつめながら、どんなに残念な気持で書き残したでしょうと、これを見るたびに泣いております。
義ぃちゃん!あなたは暗い雪の中で、手も足も刻々と凍えてゆく痛みに堪えて、よく冷静に書いてくれました。生命の灯の消えるときまで、リーダーとして、山男として立派に生きてくれました。」

まとめ

いかがでしたでしょうか。札内川十の沢北海道大学山岳部遭難事件の概要をまとめました。

「雪の遺書」は当時の値段で350円ですが、1,200円程で出品されていた中古品を買いました。定価の4倍もの価値がついています。

状態の良いものはなんと約3万円で出品されています。

ちなみに、日高山脈山岳センターでは沢田くんの遺品、遺書(印刷されたもの)が展示されています。

福岡大学ワンダーフォーゲル部ヒグマ事件3人の学生を襲ったヒグマの剥製もありますので、興味のある方は調べてみてください。

以上になります。

状態:可の中古品を購入したのですが、結構傷みがあります。動画のために撮影していたのですが、その撮影の間にも傷みが進んでしまったように思えます。

手が届く値段ではもうほとんど出品はないので、電子書籍化にならないかなぁと思っています。

maedayuka

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